ああ性欲、利己的な遺伝子
JPOPの歌詞やら日本の古文やら読んでると、恋愛ネタばっかりでげんなりとする。かといってもっと重要な事を見つけられるのかと言われると、やはりそれは無理で、僕は今日もlove is allとか唱えて、全然愛の無い日々を嘆いている
Gonna find something beautiful for me
多くの人は余暇を無為に過ごしてしまう。これは自分を振り返ってみるとよく分かる。もし僕に何か感動できる仕事があるのなら、余暇なんてどうだっていい、その仕事のための休憩時間と捉えて構わないのだけれども、実際はそうではない。僕は余暇を大事にしないといけない。出来なければ、多くの人と同様、何も楽しいことやりがいのあることを成し遂げずに、あれよあれよと老いてゆくだけだ。
倫理的に考えたら、僕のなす事全てはほとんど価値の無いことだけど、功利的に考えたら、何かやってよかったと思うことはあるだろう。何をしようかな?
暇を潰す、ぽっかりあいた時間を何とか埋めようとする営みには、うまく行けどもただそれだけの価値しか無い。何か積み上がってゆくものがいい。そして四六時中そのことについて思いを巡らせておけるようなものがいい。
僕にもし音楽や絵や文章の才があればもちろんそれに打ち込むんだけど・・・
本当に?
何が望みか。それがはっきりしないなら、はっきりしない事態にしかならないだろう。よく尋ねておくこと。
切り分けられた半身を
女の子が足りない。
トイレに行きたい奴に、別のことを考えさせようたって無理だ。行かせてやればいい。そしたら、何か高次な活動に向かえるかもしれない。
退屈でない隙間と、それが語りかけるもの
SNSが心を占める、毒す、不具にする。退屈を紛らわすことに終始すると頭はパタリと動きを止める。
今僕の心は沈黙している。世界中の富と時間をもらっても、うまく使うことは出来ないだろう。
全て心次第だ。辛いことも楽しいことも、心から生まれる。
大事にしようね
■
一番大事なのは、未来にではなく今日に生きることだ