机拭いた後の雑巾みたいな、

死にたいとか言わない

Gonna find something beautiful for me

多くの人は余暇を無為に過ごしてしまう。これは自分を振り返ってみるとよく分かる。もし僕に何か感動できる仕事があるのなら、余暇なんてどうだっていい、その仕事のための休憩時間と捉えて構わないのだけれども、実際はそうではない。僕は余暇を大事にしないといけない。出来なければ、多くの人と同様、何も楽しいことやりがいのあることを成し遂げずに、あれよあれよと老いてゆくだけだ。

倫理的に考えたら、僕のなす事全てはほとんど価値の無いことだけど、功利的に考えたら、何かやってよかったと思うことはあるだろう。何をしようかな?

暇を潰す、ぽっかりあいた時間を何とか埋めようとする営みには、うまく行けどもただそれだけの価値しか無い。何か積み上がってゆくものがいい。そして四六時中そのことについて思いを巡らせておけるようなものがいい。

僕にもし音楽や絵や文章の才があればもちろんそれに打ち込むんだけど・・・

 

 

本当に?

何が望みか。それがはっきりしないなら、はっきりしない事態にしかならないだろう。よく尋ねておくこと。

退屈でない隙間と、それが語りかけるもの

SNSが心を占める、毒す、不具にする。退屈を紛らわすことに終始すると頭はパタリと動きを止める。

今僕の心は沈黙している。世界中の富と時間をもらっても、うまく使うことは出来ないだろう。

全て心次第だ。辛いことも楽しいことも、心から生まれる。

大事にしようね