机拭いた後の雑巾みたいな、

死にたいとか言わない

神なき人間の惨めさ

自分の惨めさ、無目的性、全ては退屈しのぎにすぎないということ、これらを諦めて受け入れた時、逆に全てが目的となる。言うまでもないことだ、あの頃何に悩んでいたのだろう。僕は今、公園のベンチに座っているだけで結構充実感を得られる。